良く使っていた (いる) 計算機


o HIPAC-103, OSは無し!! (教育大附属中学校時代)
1970年代前半当時、もう既に珍しかったパラメトロン計算機。
僕が使っていた機械以外はその時点で、全て廃棄されたか博物館に入ったと聞かされた。 (トランジスタ以前の機械だから、まぁ、当然といえば当然の話。)
何故かマシン独立と主張するアセンブラ言語 SIP とかいうものまで装備して、 フェライト・コアの載った回路基板がもの凄く壮観だった、紙テープ入出力のドラム計算機。 (当時は平気で7単位紙テープを読めた。ついたあだ名がお茶の水博士。今では?)
隣の部屋に置いてあった HITAC-10 II とキャラクタ・ディスプレイが輝いて見えた。

o オリベッティ製卓上電子(電気?)計算機 P-652 (教育大附属高等学校時代)
ニモニックでしかプログラムできない世界。 プログラムをアセンブラで書くのも当然という感覚は、 ここら辺で身に染み付いてしまった。(;_;)

o TI-59 (東工大、学部・修士課程時代)
磁気カードも使えたプログラム電卓。プリンタとセットで購入。 天体力学のシミュレーションを3週間掛けて実行したりしていた。
45分毎に2行印刷なんてしていると、確実に不眠症になれる。 特にそいつが枕元の机の上で動いてたりすると…。

o Hewlet Packard MX, RTE 4B (東工大、学部・修士課程時代)
研究室のメイン・システムであったミニコン。大変お世話になった。
洗濯機みたいな格好をした 50 メガのディスクが並んで置いてあった。
メモリも最初 500 キロしかなくて狭くてしようがなかったが、 メモリ・ボードはコンパチ品でも高くて買えなかった。
やむを得ず使用中のメモリ・ボードを引っ張り出してメモリ・チップを全部ひっこ抜き、 容量 4 倍の石に載せ替えた。
このおかげで当時としては驚異的な2メガの主記憶を実現し、 担当の CE 氏の目を白黒させた。 だって増えた分のアドレス信号は、完全に空中配線だけでできていたんだもの。
その他このミニコンには得体の知れない自作のものが沢山くっついていて、 私もミニコンを大型計算機に直接接続するシステムを Z-80 の one-board computer で作った。
こいつは端末の BSC をエミュレートし、大型計算機からは全画面ターミナルに見える。 ミニコンと大型計算機との間でファイルの転送ができると言うだけでも画期的であった。
この頃、研究の煽りで、プログラミング言語設計やコンパイラ作りが趣味になる。 (^^;;

o HITAC M-280 / M-200, VOS3 TSS/BATCH (東工大、学部・修士課程時代)
平然と最大クラスのバッチ・ジョブを立て続けに流し、 計算機をブン回して負荷を掛けまくっていた。
一方、その割には、計算機センターでプログラム相談員などというものをして、 『正しい計算機の使い方』なるものを伝道していた(つもりだった)。
ここで身に付いた VOS3 や JCL に関する知識が、 IBM に入社後、思わぬところで役に立つようになる。 だって、そのとき時代は既に UNIX だったんだもの…。

o IBM 3081, VM/SP HPO (IBM、基礎研究所時代)
研究所のメイン・システム。作ったユーティリティの数は数知れない。 次項の 4361 があったおかげで、こいつはあまり僕の被害を受けないですんだ。

o IBM 4361, VM/SP HPO (IBM、基礎研究所時代)
バージン・マシンの OS インストールから管理運用まで、 全部一人でやっていたパーソナル・メインフレーム中型コンピュータ。 こんな経験はそうできるものではない。
また、ハードを弄るだけではなく、 IBM の SE, CE 諸氏と色々な話をすることもでき、 普通の研究員では経験できない事も多くて非常に得る所も多かった。
とはいえ、面白いだけでもなく案外大変な所も多かった。 せめて浮かせた SE 代を 200 万くらいでもいいから、 プロジェクトの研究費に回して欲しかったなぁ…。
こいつを一人で使っているとさすがに速く感じた。 でも、よくよく考えてみると、 最近のワーク・ステーションよりずっと遅いに違いない。

o IBM 5570, DOS + OS/2 (IBM、基礎研究所時代)
会社の自席に置いていたパソコン。大型機の端末である IBM 3278 model 4 と並べて置いてあった。
当時としては巨大なメモリ (16メガ) とディスク (340メガ) を持ってはいたし、 OS/2 のおかげでマルチ・プログラミングも出来てはいたが、 まぁ今から思えば、所詮はパソコンだった。

o Apollo Domain DN-3000, AEGIS (Domain/UX)
24回ローンで初めて買ったコンピュータらしい (?? 定義不明 ??) コンピュータ。 (元)アポロの人達には、本当にお世話になった。 (_o_)
ほとんど天体力学のシミュレーションの、数値積分と3次元グラフィクスに使われた。
また Display Manager のマクロを組み合わせてワード・プロセッサにし、
インタプリタ進化論の 原稿書きに使われた。
この頃まで、周囲の人々は何故私が計算機を所有していないか不思議がったが、 パソコンは何となく "あほらしゅ〜" てどうしても買う気になれなかったというのが真相。
OS は Apollo の AEGIS が気に入ってしまい、 結局 UNIX はインストールしてあってもほとんど使わなかった。
今日日の URL 表記でホスト名の前に // を付けて path name に prefix するのも AEGIS の network resource 名を手本にしたに違いない。
しかし何で path name に環境変数を使えるような OS が もっとメジャーにならないのだろうか。 ゼェェェッタイ便利だと思うのに。

o IBM RS6000, AIX (IBM、CIM-PO 時代)
初めて触った UNIX マシン、 と言っても実際は AIX だから Apollo と同じようなものか?。
関連論文やソース・コードならその随分前から目にしていたが、 実現の仕方を知っていても使えないことが良く判った。 まあ、論文に出てくるのは大抵、カーネルの話だもんね。
「家にもワークステーションあるんでしょっ」とか言われて、 なぜか当然といった感じで root をやるはめになる。 ユーザ・インタフェースなんか、全然違うのにぃぃぃ…。
しかし、テキストファイルを vi でいじるだけでは管理できない UNIX なんて、 存在しても良いものなのだろうか。

o Sun SPARC Station / IPX, Sun OS 4.1.[1-3] (東大、博士課程時代)
東大大須賀研究室のマシン群。 入学早々研究室のシステムの root になってしまい、 そのうちに東大先端研の namemaster になってしまふ…。
どこか新しい所へ籍を移した時には、 ワーク・ステーションの root をやったことがあるなどとは、 口が裂けても言うものではない。 (x_x)

o IBM 5523-SV8, DOS/V (東大、博士課程時代)
大学でも自席にマシンがないと仕事にならないと思って購入したパソコン。 研究室のネットワークに繋いで使ったが、やっぱり所詮はパソコンだった。
自宅に持って帰ると Domain と SLIP で繋いで使用。 結局、自宅のアポロと学校の Sun を繋ぐ、 容量 80 メガのフロッピ・ディスクみたいなものだった?
今から考えるとこいつの値段で今はワークステーションに比肩するようなパソコンが買える。 くやしい。

o Sun SPARC Classic, Sun OS 4.1.3 (東大、博士課程時代〜2010年)
2代目のプライベート・ワーク・ステーション。 こいつのおかげで快適に博士論文が書けたと思っている。
学生時代の購入で、お金がなかったから、遅い狭い画面が小さい。 しかし、 Sun SPARC は無料のバイナリが沢山あるから嬉しい。

o Sun SPARC Station 10, Sun OS 4.1.3 (電通大高田研、1995〜2000年)
大学の教官室に置いてあった私専用の研究用機。 特に変わったところもない当たり前の Sun である。

o Aries Research Marixx-ss, SunOS 4.1.4-JLE1.1.4 (電通大高田研、1995〜1998年)
大学の研究室で使っていた計算機。 学生さんたちのアカウントを収容した SS20 相当機。

o Digital HiNote Ultra, FreeBSD (電通大高田研、1997〜2002年)
研究で使っていた計算機。 FreeBSD と X Window System を入れて、 研究成果の UNIX ベースのシステムのデモ用に使っていた。
この機械は非常に薄型かつ軽量で 持ち運びも便利で、 同時代の他の計算機とは一味違ったエクスペリエンスを得られた。
観客によっては、 デモしたいソフトウェアより ハードウェアの方が注目を集めてしまうこともあった。

o Sun Enterprise 450, Solaris 2.6 (電通大高田研、1998〜2011年)
大学の自分の研究室で使っていた主力計算機。
研究テーマの中心にある『推論』を行ないやすくするために、 どうしても高速かつ大主記憶容量のマシンが欲しかった。 で、目を付けたのがこれ。
主記憶 4 GB とディスク 200 GB 程度とを実装。 少しぐらいディスクが死んでも良いような冗長構成をとるために、 ディスク・レイアウト設計はまるでパズルを解くような騒ぎになっていた。
しかし、2011年の東北の震災の後の計画停電で始動停止を繰り返しているうちに 起動できなくなってしまい、昇天。 その後、研究室では研究用機を用意しないことになる。

o SGI Origin2000, IRIX 6.4.1 / Sun UltraEnterprise 1, Solaris 2.6 (電通大センター、1998〜2002年)
大学の総合情報処理センターで運用していた計算機。 システムの管理者として使用。

o Sun Netra T1, Solaris 2.6 (電通大高田研、2000〜2012年)
自分の教官室に置いてあった個人専用の研究用機。 研究室の学生が入れない、管理用システムとしてとても重宝。

o SGI Origin 3400 / Sun Netra T1 (電通大センター、2002〜2006年)
大学の総合情報処理センターで運用していた計算機。 システムの管理者として使用。

o Sun SPARC Enterprise E25K, Solaris 9 (電通大センター、2006〜2010年)
大学の情報基盤センターで運用していた計算機。 88 core の機械をパーティショニングして、研究用と教育用とで共用。
需要に応じて動的にリサイズしたり、非常に面白い記憶に残る機械であった。 システムの管理者として使用。

o Sun SPARC Enterprise M5000, Solaris 10 / Sun SPARC Enterprise T5440, Solaris 10 (電通大センター、2010〜2014年)
大学の情報基盤センターで運用していた計算機。 システムの管理者として使用。

o Apple MacBook Pro (電通大高田研、2012〜2024年)
常に持ち歩いていた主力機。 13inch を中心にお仕事用兼デモ用として利用していた。
AppleCare+ の期間が切れるごとに買い替え。 金は掛かるが、 お仕事用である以上はまぁ仕方がない。

o Apple Mac Mini (電通大高田研、2012〜2024年)
大学の教官室に置いてあった私専用の研究用サーバ機。 常時三台程度を目的別に24時間稼働させていた。

o HP DL980G7, CentOS / HP DL560 Gen8, CentOS (電通大センター、2014〜2018年)
大学の情報基盤センターで運用していた計算機。 初めて使用する Linux 機で、 システムの管理者として使用。

o HP Synergy 12000 + SY480 Gen9, Helion OpenStack (電通大センター、2018〜2022年)
大学の情報基盤センターで運用していた計算機。
この世代から、俗にいうサーバ・ファームが導入となったが、その陰で研究用システムが廃止されてしまった。 システムの管理者として使用。

o HPE DX380 Gen10, Nutanix (電通大センター、2022年〜)
大学の情報基盤センターで運用していた計算機。
退職するまで、システムの管理者として使用。 退職してしまってからは、唯の一般利用者としての使用。

o Apple MacBook Air M3, MacOS Sonoma (2024年〜)
退職して国有財産を所持できなくなったので、 久しぶりに自費購入した計算機。
Air を使うのは初めてだがあまり気にすることなく使用できている。 仕事じゃなくなったから、というのがありそうな理屈。

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